どうして『CHAIN』なのか
福岡芳穂(監督)
“CHAIN”について
椎井友紀子(プロデューサー)
幕末の京都を舞台に、激動の時代をくぐり抜けた武士と庶民の生き様を映し出す
新撰組終焉の象徴とも言われる“油小路の変”を通して、激動の時代を生きた無名の人々――武士・庶民の対立、愛、嫉妬、復讐、青春など、幕末の京都を舞台に現代にも通ずる人間のもがき続ける姿を描く。
本作は京都芸術大学映画学科の学生とプロが劇場公開映画を作るプロジェクト「北白川派」第8弾作品で、主演は本作が映画初主演となる上川周作。京都芸術大学在学中に『正しく生きる』(福岡芳穂監督)、『赤い玉、』(高橋伴明監督)等北白川派作品に出演して演技力を磨き、卒業後に本格的な活動を開始。映画『止められるか、俺たちを』(白石和彌監督)、『劇場』(行定勲監督)、NHK連続テレビ小説『まんぷく』や大河ドラマ『西郷どん』等で注目され、若手実力派俳優として脚光を浴びている。
監督は若松プロ出身で『正しく生きる』『愛してよ』で知られる福岡芳穂(京都芸術大学映画学科教授)。脚本は『あゝ、荒野』『宮本から君へ』を手掛けた港岳彦。また本作は、「5万回斬られた男」と呼ばれ数多くの時代劇で活躍、今年1月に惜しくも逝去した俳優・福本清三の最後の出演作となった。
歴史的事件に関わった無名浪士たちのほとばしる情熱、激動の時代をくぐり抜けた人々の濃密な生き様を活写した、熱く激しい人間ドラマが誕生した。
時代背景
幕末。約200年に渡る鎖国が終わり、国内の勢力は主に三つに分かれていた。
1. 幕府ではなく天皇を中心として外国とは戦うべきとする「尊皇攘夷派」
2. 幕府を倒し新たな政府を作ろうとする「倒幕派」薩摩藩、長州藩、土佐藩
3. これまで通りに幕府中心とした「保守派」会津藩
これらの勢力が覇権争いをし、血を流していた。
新撰組とは、「保守派」会津藩の管理のもと、京都の危機的治安を維持するために幕府によって組織された末端の戦闘部隊である。
御陵衛士とは、新撰組から離脱し「倒幕派」となった伊東甲子太郎率いる集団である。
“油小路の変”は、この二つのグループの武力衝突によって起きた事件である。
*北白川派とは
京都芸術大学と映画学科が推進してプロと学生が協働で一年をかけ一本の映画を完成させ、劇場公開を目指すプロジェクト。2009年から現在まで8作品を制作・劇場公開。俳優の大西礼芳、土村芳らを輩出してきた。2021年は藤原季節主演『のさりの島』、上川周作主演『CHAIN/チェイン』の2本を劇場公開する。
「百年経ったら
いい世の中に
なってるどいいなあ……」
物語
幕末・京都。会津を脱藩した浪人山川桜七郎(上川周作)は、賭場の用心棒として雇われていた。賭場の胴元、侠客・水野弥三郎(福本清三)に御陵衛士の篠原泰之進(渡辺謙作)、藤堂平助(村井崇記)が資金繰りの相談をしている時、九州の菓子屋の息子・松之助(池内祥人)が賭け金の持ち逃げで引っ立てられてくる。同郷と知った篠原が松之助を救い藤堂らと出ていこうとした時、陰間乞食・惣吉(松本薫)が襲い掛かり、咄嗟に篠原は惣吉の脇腹を斬るが、同時に用心棒の桜七郎が藤堂の前に立ちはだかった。藤堂は刀を交える中で桜七郎に対し侍としての共感を抱き、御陵衛士への合流を誘う。しかし桜七郎は無言で去る。
片や松之助は屯所の下男として御陵衛士盟主・伊東甲子太郎(高岡蒼佑)始め仲間たちから快く迎え入れられる。そんな様子を、斎藤一(塩顕治)がじっと見つめていた。
新撰組局長・近藤勇(山本浩司)と副長・土方歳三(大西信満)は、新撰組を脱退せんとする伊東、藤堂、斎藤らに対し、新撰組が武士として出世を認められたことを伝えるが、伊東は立場の違いを鮮明にし、両者の遺恨が深まっていく。そんな中、新撰組の大石鍬次郎(佐々木詩音)は近藤の命により、組を抜け討幕派に傾いた武田観柳斎(渋川清彦)を斬殺しようとする…が、その場に現れ武田を手にかけたのは御陵衛士であるはずの斎藤だった。
一方、賭場を追われ食いつめた桜七郎は金の無心で訪れた会津藩邸で御陵衛士の不義理な行いを知り、伊東のもとに乗り込む…。
伊東の恋人、島原輪違屋の花香太夫(土居志央梨)、惣吉を救う病持ちの夜鷹・お鈴(辻凪子)、侍に阿片を売り「男など皆死んでしまえ」と嘯くお染(和田光沙)らを巻き込みながら新撰組と御陵衛士の対立は激化し、やがて油小路の変という惨劇へと繋がっていく―
Cast
キャスト
Staff
スタッフ
脚本ができるまで
港岳彦(脚本)
史実から見た油小路の変
木村武仁(幕末維新ミュージアム・霊山歴史館 学芸課長)
COMMENT
コメント
(順不同)
西田尚美さん(俳優)
福岡監督と以前『愛してよ』でご一緒したとき、今回、斎藤一役で出ている塩顕治くんが息子役だった。監督が塩くんばかりに演出するので、「私のことも見てよ!」と言ったのを思い出した(笑)。塩くんは、あの時もミステリアスだった。今回も蕎麦を啜ってる姿や眼差しがとてもミステリアスだ。「チクショー!良い男になったなぁ。私のことも忘れないでよ!」と伝えたい。この映画は初っ端から、なんだこれは!という感覚。京都には何度も行ったことがある。そんな京都の街で、油小路の変が起きたとき。その時、私はどうしていたのだろうか。新撰組と御陵衛士が争っていたとき、自分がもし生きていたら。そこにいたら。自分の生き方を問われたような、そんな気がした。
片岡礼子さん(俳優)
それぞれにその時代の氣を張り、
ついて行きたくなる背中を見た。
音楽の儚さがあの頃の、何のために命を捧げることが本望なのか、迷えども、待った無く振りかざすその刀と重なる。
彼ら彼女らの魂を沈め報われる未来を頑張って創って捧げたくなるような。光を観ました。
佐藤浩市さん(俳優)
時代劇の約束事を反故にするオープニング(後に造り手の意図は伝わる)からどれだけ破天荒な世界観の映画が始まるのかと思いきや「CHAIN」は、諸国の事情を背負いながら目線は日本の夜明けからずれる事のない者、立身出世を目指す者、自身の足元を見据えるリアリストなど、新撰組という烏合の衆を消してステロになる事なく丁寧に描きながら油小路の変に進んでいく。
最後の叫びは、いつの世も来世への希望であり、現世の絶望である。
古厩智之さん(映画監督)
阪本順治さん(映画監督)
劇中の菓子屋のせがれが志士たちに放つ「政治ってなんね!」という科白が心に響いた。
幕末において、おとこたちは、青臭いほどの論を説き、その熱情が自尊心をたぎらせ、血の匂いを求めて悦に入るバカどももいて、一方、おんなたちは、そんなおとこたちに哀れみと、強烈な違和感を示した。物語には、陰間も加わり、従来の志士だけに注目した幕末時代劇の作法を拒み、多様な視線をもって江戸の末路をえぐる。
観客が、大胆な転換や背景描写(ここでは云えない!)に「え、なんで」と驚くだろうが、この横紙破りこそ、監督が絶対譲らなかった狙いであり、その覚悟ある越境と自在な采配にこそ、いまの時代に問うべきイシューが含まれているのだ。
私の同業者、つまり映画監督たちはこの作品を観て、誰もが驚嘆、共鳴、次なる道標のきっかけを掴むだろう。加えて、存じ上げない俳優さんがたくさん出演していたが、みんな、余計な熱演を避け、自然体で素晴らしかった。と、高岡蒼佑、またいつか戻ってこいよ。傑作です!